仕事を終えて、疲れた体で電車に乗る。
ここから家に着くまでが、ちょっとした自分の時間だ。
最近は仕事もなかなか忙しい。
だから帰りの電車で本を読む時間は、わりと貴重だったりする。
今日も座席に座って、
「さて、何を読もうか」
と思っていたところで、妻からLINEが届いた。
YouTubeのリンクが2本。
「過去問を初めて解く前に知っておいてほしい3つのこと」
そして、
「過去問を解いた後にやること」
……なるほど。
どうやら今日の読書時間はなくなったらしい。
癒やしの通勤読書タイムは、声教チャンネルの過去問講座に変わった。
息子は最近、いよいよ志望校の過去問を解き始めた。
そして、過去問を解く息子だけではなく、親も「過去問のやり方」を勉強しないといけないようである。
まあ、受験まであと145日。
親も勉強しますか。
最初から合格点なんて取れなくていい
まず一本目で一番印象に残ったのは、
最初から合格点なんて取れなくて当たり前。
という話だった。
これは親としては、かなりありがたい言葉である。
過去問を解くと、どうしても点数を見る。
そして合格最低点と比較する。
届いていなければ、
「これ、大丈夫なのか?」
となる。
先日、息子が早稲田学院の2021年の算数を解いた。
点数は33点。
数字だけ見れば、なかなか厳しい。
でも見直してみると、
「これ、ちゃんと見直せば50点くらいまではいけたんじゃないか」
という感触もあった。
もちろん、本番では見直し込みで点を取らなければ意味がない。
ただ、今回の動画を見て、最初の過去問で33点だったこと自体に、そこまで大きな意味はないのかもしれないと思った。
秋以降は、夏までに積み上げた基礎を使って応用力を伸ばしていく時期。
さらに入試が近づけば、本人の集中力や本気度も変わってくる。
そして何より、何年分か解いていけば、その学校の問題にも少しずつ慣れていく。
出題傾向。
問題の並び。
時間配分。
どこに時間をかけるべきか。
どこは飛ばすべきか。
そういうものが、少しずつ体に入っていく。
そう考えると、最初の点数は「現在地」でしかない。
そこで落ち込むより、
ここから何点伸ばせるのかを見る方が大事なのだろう。
過去問は「できないところ」を見つけるもの
今回の動画を見て、まったく新しいことを知った、というわけではない。
むしろ、
過去問は、できないところをあぶり出すために使う。
これは自分にとっては、かなり当たり前の感覚だった。
私自身、もう10年以上前になるがTOEICで935点を取ったことがある。
そのときも、過去問を解いて、
どこを間違えたのか。
何が分かっていないのか。
時間が足りないのか。
単語なのか。
文法なのか。
リスニングなのか。
そうやって弱点を見つけて、そこを重点的に勉強していた。
できる問題を何度やっても、あまり点数は伸びない。
できないところを見つけて、そこをできるようにする。
考えてみれば、受験勉強でも資格試験でも、基本は同じなのだと思う。
だから今回の動画を見て、
「なるほど、そんな考え方があったのか」
というより、
「そうだった。過去問って本来こうやって使うものだったな」
と、改めて思い出させられた感じに近い。
どうしても子どもの中学受験になると、親は点数そのものに目が行く。
何点だった。
合格最低点まであと何点だった。
偏差値はいくつだった。
でも、本当に見るべきなのは、その数字の中身なのだろう。
どこで落としているのか。
なぜ落としたのか。
次に何をやれば取れるようになるのか。
今回の動画は、当たり前だけれど一番大事なことを、もう一度整理してくれた。
正解した問題も解説を読む
もう一本の動画で面白かったのが、
間違えた問題だけではなく、正解した問題も解説を読む
という話だった。
これは意外だった。
正解しているなら、もういいじゃないか。
そう思ってしまう。
でも、たまたま正解した問題もある。
特に国語や算数では、自分なりのやり方で力技で解いて、結果だけ合っていたということもある。
解説を読むと、
「そんな解き方があるのか」
となることもある。
そして社会では、さらに面白い。
4択問題で正解を一つ選んでも、残り3つの選択肢について、
なぜ間違いなのか
まで確認する。
ある年に誤りの選択肢として出た知識が、別の年には正解側で出てくることもあるらしい。
つまり、一問を一問として終わらせない。
一問からできるだけ多くのことを吸収する。
そういう使い方をする。
過去問を「試験」としてではなく、かなり濃い「教材」として使うわけだ。
間違えたら、過去問ではなく普段の教材に戻る
もう一つ、なるほどと思ったのがこれ。
過去問で苦手な分野が見つかったら、
過去問を何度も繰り返すのではなく、普段使っている教材に戻る。
息子の場合なら、SAPIXの教材だ。
過去問は苦手を発見する。
そこで、
「割合が弱い」
「場合の数が弱い」
「漢字で落としている」
「社会のこの単元が怪しい」
と分かったら、そこから普段の教材へ戻る。
そして、もう一度その単元をやり直す。
過去問は、苦手を直す場所ではない。
苦手を見つける場所。
直すのは、今まで使ってきた教材。
この考え方は、かなりしっくりきた。
過去問ばかり何年分も進めて、
「今日は2022年」
「次は2021年」
と数をこなしても、弱点がそのままなら、あまり意味がない。
何年分やったかより、
一回の過去問から何を持ち帰ったか。
こちらの方が大事なのだろう。
付箋を貼って、苦手を見える化する
動画では、間違えた問題や苦手なところに付箋を貼る方法も紹介されていた。
これもシンプルだけど、よさそうだった。
できなかった問題に付箋を貼る。
普段の教材に戻って復習する。
理解できた。
もう大丈夫。
そうなったら、付箋を剥がす。
受験直前になって、過去問集に貼られていた付箋がどんどん減っていく。
最後にほとんどなくなっていれば、
「ここまでやった」
という自信になる。
これは子どもにとっても分かりやすい。
点数は上がったり下がったりする。
でも、付箋は一枚ずつ剥がしていける。
努力が目に見える。
受験勉強は、なかなかゴールが見えにくい。
だからこそ、こういう見える化は意外と大事なのかもしれない。
33点より、17点の方を見る
先日の早稲田学院の算数は33点だった。
でも、見直してみると50点くらいまではいけそうだった。
ということは、見るべきなのは33点なのか。
それとも、
取り戻せそうだった17点なのか。
今回の動画を見て、私は後者なのだと思った。
計算ミスなのか。
時間配分なのか。
問題文を読み違えたのか。
解き方が分からなかったのか。
そもそも単元として理解できていないのか。
同じ不正解でも、原因は全部違う。
そこを一つずつ分けていけば、次にやることが見えてくる。
33点だった。
だからダメ。
ではなく、
この17点は次に取れるようにしよう。
その先にさらに5点あるかもしれない。
そうやって、本番までに少しずつ積み上げていく。
過去問というのは、そういうものらしい。
親も過去問を勉強する
子どもが中学受験をすると、本当に親もいろいろ勉強する。
学校のこと。
偏差値のこと。
塾のこと。
併願校のこと。
試験日程のこと。
そしてついに、
過去問のやり方まで勉強することになった。
仕事帰りの電車で、本を読むつもりだったのにYouTubeを見ることになった。
妻から送られてきた2本の動画。
最初は、
「はいはい、見ますよ」
くらいの感じだった。
でも、見てみると意外と面白かった。
というより、知らないことが多かった。
過去問は、合格点を取れるかどうかを見るものだと思っていた。
でも、本当は、
本番までに伸ばす場所を見つけるためのもの。
そう考えると、最初の点数が悪くても、少し見え方が変わる。
もちろん、最後は点数を取らなければいけない。
でも、それは今ではない。
今はまだ、できないところを見つけてもいい。
むしろ、今のうちに見つけないと困る。
受験まで、あと145日。
息子は過去問を解く。
妻はその進め方を考える。
私は仕事帰りの電車でYouTubeを見る。
なんだかんだで、親も一緒に受験している。
ただ、問題はひとつだけある。
時間がない。
過去問を解く。
解説を読む。
間違えたところを洗い出す。
SAPIXの教材に戻る。
復習する。
もう一度確認する。
言っていることは、ものすごくよく分かる。
たぶん、やった方がいい。
いや、やるべきなのだろう。
でも、受験まであと145日。
通常授業もある。
志望校別の対策もある。
そして過去問も進めないといけない。
やることは、むしろ増えていく。
過去問の正しいやり方は分かった。
あとは、それをやる時間をどこから持ってくるか。
どうやら次に勉強しないといけないのは、時間の使い方らしい。

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