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『IKIGAI』を読んだ。生きがいとは何なのか、今になって考えた

今日は中学受験の話から少し離れて、読書の話である。

最近読んだのが、『IKIGAI―日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』という本だ。

タイトルだけを見ると、いかにも「人生を幸せにする方法」が書かれていそうである。

しかし、実際に読んでみると、何か壮大な成功法則を教えてくれる本ではなかった。

むしろ、

毎日の中にある小さなことを大切にする。

そんな話が中心である。

そして読み終えてみて、ふと考えた。

自分にとっての「生きがい」とは何なのだろうか。

仕事なのか。

家族なのか。

子どもの成長なのか。

読書なのか。

趣味なのか。

ブログを書くことなのか。

正直なところ、まだよく分からない。

ただ、この本を読んで、少なくとも「自分にとっての生きがいとは何だろう」と考えてみたくなった。

今日はそんな読書感想を書いてみたい。

目次

『IKIGAI』という本

本書のテーマは、そのタイトル通り、日本人の「生きがい」である。

日本人にとってはごく普通に使う言葉だが、「IKIGAI」は海外でも注目されているらしい。

本書では、生きがいを支える考え方として、5つの柱が紹介されている。

  • 小さく始めること
  • 自分からの解放
  • 調和と持続可能性
  • 小さな喜び
  • 〈今ここ〉にいること

こうして並べてみると、意外なほど地味である。

「大きな夢を持て」とも書いていない。

「成功者になれ」でもない。

「年収を上げろ」でもない。

むしろ、人生の中にある小さなことを大切にして、その瞬間そのものを味わう。

そんな考え方である。

40代になった今だからなのか、この地味さが妙に心に残った。

曜変天目茶碗を追い求める人

本書の中で特に印象に残った話の一つが、曜変天目茶碗の再現に挑み続ける人の話である。

そもそも曜変天目茶碗とは何なのか。

簡単に言えば、黒い茶碗の表面に、青や紫、虹色のような光が浮かび上がって見える、とても珍しい茶碗である。

およそ800年前、中国の南宋時代に作られたとされている。しかし、どのような材料を使い、どのような温度や焼き方であの模様が生まれたのか、その詳しい製法は現在まで完全には分かっていない。

光の当たり方によって、まるで宇宙や星空のようにも見える独特の輝きが現れる。

しかも、現存するものは極めて少ない。

だからこそ、現代の陶芸家の中には、

「あの輝きをもう一度、自分の手で作ってみたい」

と、再現に挑み続ける人たちがいるのである。

しかし、レシピが残っているわけではない。

土の種類を変える。

釉薬の配合を変える。

焼く温度を変える。

窯の中で置く場所を変える。

何度も作る。

失敗する。

条件を変える。

また作る。

それを繰り返していく。

普通に考えれば、ある程度それらしいものができれば、

「もう十分ではないか」

と思ってしまいそうなものである。

しかし、そうではない。

もっと良くできないか。

本物の輝きに、もっと近づけないか。

別の条件ならどうなるのか。

さらに試してみたい。

その探究が続いていく。

この話を読んでいて、少し羨ましいと思った。

そこまで一つのことに没頭できるものがあるというのは、ものすごく幸せなことなのではないか。

成果を出すためだけではない。

お金のためだけでもない。

誰かに評価されるためでもない。

作ることそのものが面白い。
試すことそのものが面白い。
昨日より少し近づくことが嬉しい。

だから続ける。

そして、たとえ完全な答えにたどり着かなかったとしても、その過程そのものに意味がある。

これはまさに、本書でいう「生きがい」なのだろう。

個人的には、この説明を入れることで、後に出てくる「異常なこだわりを持って仕事をしていた先輩」の話にも、かなり自然につながると思います。

「小さな喜び」とは何だろう

中でも気になったのが、「小さな喜び」という考え方である。

生きがいという言葉を聞くと、どうしても大げさなものを想像してしまう。

一生をかけて成し遂げたいこと。

人生の使命。

自分にしかできない仕事。

そんなものを見つけないといけないような気がする。

でも、本書で描かれる生きがいは、もっと日常的である。

朝起きたときの楽しみ。

好きなことをする時間。

何かを少しずつ上達させていくこと。

日々の生活の中にある、ほんの小さな満足。

そういうものも、生きがいなのである。

では、自分にとっての「小さな喜び」は何だろう。

ここで少し考えてしまった。

すぐには答えが出なかった。

もちろん楽しいことはある。

本を読むのも好きである。

写真を撮るのも好きである。

山に行くのも好きである。

こうしてブログを書くのも嫌いではない。

子どもの成長を見るのも面白い。

仕事でも、新しいことを考えたり、何かを形にしたりするのは好きである。

でも、それを「これが私の生きがいです」と言えるかというと、まだ少し違う気がする。

おそらく今の自分は、まだ生きがいを探している途中なのだと思う

異常なほどこだわる人を見てきた

この話を読んでいて、仕事で出会ったある先輩のことを思い出した。

長く会社員をやってきたが、

「この人はちょっと普通ではないな」

と思うくらい仕事にこだわる人は、それほど多くない。

会社全体を見渡しても、2人、3人いるかどうかではないかと思う。

その先輩は、まさにその一人だった。

とにかく仕事に対するこだわりがすごかった。

普通の人なら、

「ここまでやれば十分だろう」

と思うところから、さらに詰めていく。

誰も気づかないようなところまで確認する。

もっと良くできないかと考える。

そして、時間を忘れて仕事をする。

今の時代であれば、まず「ワークライフバランス」という言葉が出てくるだろう。

でも、その先輩には、そんな言葉など関係ないように見えた。終電間近までよく

とにかく仕事に没頭していた。

僕も一緒に仕事をしたことがある。

間近でその仕事ぶりを見た。

そして素直に思った。

すごい人だな、と。

「仕事は苦しいものだ」と言っていた

ただ、面白かったのは、その先輩が決して、

「仕事は楽しい」

などと言っていたわけではないことである。

むしろ本人は、

「仕事は苦しいものだ」

と言っていた。

それを聞いたときは、

「そんなに苦しいなら、どうしてそこまでやるんだろう」

とも思った。

でも、今振り返ってみると少し分かる気がする。

本人は苦しいと言っていた。

実際、大変だったのだろう。

悩むことも多かったはずである。

それでも、誰よりも仕事にこだわっていた。

誰よりも考えていた。

誰よりも時間を使っていた。

そして、どう見てもそこにはやりがいがあった。

いや、本書を読んだあとで考えると、

あれはもしかすると、生きがいだったのではないかと思う。

生きがいは「楽しいこと」だけではないのかもしれない

ここは今回、本書を読んで一番考えたところでもある。

生きがいというと、

「好きなこと」

「楽しいこと」

「幸せを感じること」

をイメージする。

でも、それだけではないのかもしれない。

苦しい。

難しい。

なかなかうまくいかない。

それでも続けたい。

もっと良くしたい。

どうすればできるのか考えてしまう。

気づけば時間が経っている。

そんなものもまた、生きがいなのではないか。

曜変天目茶碗を追い続けることもそうだろう。

仕事に異常なほどこだわることも、同じなのかもしれない。

楽だからやるのではない。

むしろ苦しくても、そこから離れられない。

そういう対象に出会うこと自体が、人生ではかなり貴重なことなのだと思った。

僕はその先輩のようにはなれなかった

一方で、正直に書いておきたいこともある。

僕は、その先輩のようにはなれなかった。

一緒に仕事をして、

「すごいな」

と思った。

真似しようと思ったこともある。

もっとこだわらなければと思ったこともある。

でも、結局は同じようにはできなかった。

それだけの時間を仕事に注ぎ込むこともできなかった。

同じ熱量をずっと保つこともできなかった。

たぶん、人にはそれぞれ違いがある。

だから、誰かの生きがいをそのまま自分の生きがいにすることはできないのだろう。

あの先輩にとって仕事が生きがいだったとしても、僕の生きがいも同じである必要はない。

これは当たり前のことである。

でも、自分よりはるかに何かへ没頭している人を目の前で見ると、

「自分もああならなければ」

と思ってしまうことがある。

今考えると、それも少し違ったのかもしれない。

では、自分の生きがいとは何なのか

そして結局、この問いに戻ってくる。

自分にとっての生きがいとは何なのだろう。

まだ分からない。

仕事は好きな部分もある。

もちろん大変なこともある。

家族との時間も大事である。

子どもたちの成長を見るのも楽しい。

読書もしたい。

写真も撮りたい。

山にも行きたい。

ブログも続けたい。

何か一つだけを取り出して、

「これが私の人生の生きがいだ」

と言えるほど単純ではない。

でも、ひょっとすると、それでいいのかもしれない。

生きがいは一つである必要もない。

そして、今すぐ見つける必要もないのだと思う。

生きがいを「見つけなければ」と焦らなくてもいい

若いころは、

何者かになりたい。

成功したい。

仕事で認められたい。

そんな気持ちが強かった。

もちろん、今も仕事で成果を出したいという気持ちはある。

でも40代になって、家族ができ、子どもが大きくなり、仕事での立場も少しずつ変わってくると、それだけでは人生を説明できなくなってくる。

仕事だけが人生でもない。

家族だけが人生でもない。

趣味だけでもない。

いろいろなものが同時に存在する。

その一つ一つの中に、小さな喜びがある。

もしかすると、生きがいとは、

「これだ」と探し当てるものではなく、日々の生活の中から少しずつ気づいていくものなのかもしれない。

本書を読んで、そんなふうに思った。

これから「小さな喜び」を探してみたい

だから今のところ、僕の答えはとても中途半端である。

自分の生きがいは、まだよく分からない。

でも、それでいい。

これから探していきたい。

朝の読書かもしれない。

仕事で誰かと一緒に一つのものを作り上げることかもしれない。

家族と過ごすことかもしれない。

ブログを書くことかもしれない。

子どもの成長を見守ることかもしれない。

あるいは、まだ出会っていない何かなのかもしれない。

「生きがいを見つけるぞ」と力を入れすぎるのではなく、

自分が何をしているときに少し嬉しいのか。

何をしているときに時間を忘れるのか。

そんなことを、これから少し意識してみたいと思う。

それだけでも、この本を読んだ意味は十分にあった。

そして現実に戻る

さて。

今日は中学受験の話から少し離れて、珍しく「生きがい」について考えてみた。

しかし、読書を終えて現実に戻れば、我が家では相変わらず受験生活が続いている。

親が人生について考えている横で、子どもは今日も問題を解いている。

こちらはこちらで、塾だ、過去問だ、模試だと慌ただしい。

もしかすると、数年後に振り返ったら、この慌ただしい毎日もまた、自分にとっての「小さな喜び」の一つだったと思うのかもしれない。

今はとてもそんな余裕はないが。

第一志望校の受験日、2月1日まであと120日ほど。

生きがい探しも大事だが、まずは目の前の120日である。

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この記事を書いた人

40代、2児の父。現在は息子の中学受験に伴走中。しばらくは中学受験を中心に、日々の試行錯誤や実体験を発信していきます。

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