第一志望の受験まで、あと136日。
今日は何を書こうか。
……特にない。
本当にない。
息子が過去問を解いたわけでもない。
模試の結果が返ってきたわけでもない。
塾で何か事件が起きたわけでもない。
なぜなら今日は、飲み会だったからである。
仕事が終わって、そのまま飲み会へ行った。
以上。
中学受験ブログとしては、致命的なくらい書くことがない一日である。
しかし、考えてみると、こういう日も含めて中学受験なのではないかと思った。
毎日子どもの横に座って、算数を教え、テストの結果を分析し、過去問をコピーし、学習計画を立てる。
そんな父親でいられれば理想なのかもしれない。
しかし現実には、仕事がある。
飲み会もある。
帰宅したら、もう子どもが寝ている日だってある。
父親は毎日、中学受験に時間を使えるわけではないのである。
今日は何もしていない
今日、息子の受験のために何をしたか。
改めて考えてみた。
何もしていない。
朝から仕事をして、仕事をして、仕事をして、その後飲みに行った。
息子が今日何を勉強したのかも、この記事を書いている時点では詳しく把握していない。
算数を何問解いたのか。
国語をやったのか。
理科の復習をしたのか。
社会の知識を詰め込んだのか。
知らない。
父親としてどうなんだ、と言われれば、その通りかもしれない。
中学受験に関する本を読むと、
「親の伴走が重要」
という言葉がよく出てくる。
それは本当にそうだと思う。
小学生である。
自分一人で半年先まで見通して、
「今日は算数の弱点補強をして、明日は理科の復習をして、週末は過去問を分析しよう」
などと動ける子どもは、そう多くないと思う。
少なくとも、我が家では親の関与はかなり大きい。
だからこそ、受験が近づいてくると、
「今日は何もできなかったな」
と思う日が少し気になる。
父親にも仕事がある
とはいえ、父親にも仕事がある。
当たり前である。
中学受験が始まったからといって、会社が、
「お子さんが受験生なので、今年は仕事を半分にしておきますね」
と言ってくれるわけではない。
むしろ小6の秋ともなれば、仕事のほうも普通に忙しい。
会議もある。
資料も作る。
出張もある。
飲み会だってある。
中学受験だけを中心にして人生が回っているわけではない。
朝から晩まで働いて、電車に乗って帰ってくる。
家に着くころには、すでに夜である。
そこから、
「さて、今日の算数はどうだった?」
となる。
元気いっぱいのお父さんならいい。
しかし現実はそんなに美しくない。
だいたい疲れている。
ソファに座った瞬間、そのまま動きたくなくなる日もある。
そこに妻から、
「今日の算数なんだけどさ」
と始まる。
おお。
今日も来たか。
中学受験第二部である。
会社員としての第一部が終わったあと、家庭教師兼作戦会議担当としての第二部が始まる。
なかなかハードな二部構成である。
受験だけでは生きられない
中学受験を始めると、家族の生活の中心がどうしても受験になってくる。
塾の日。
模試の日。
過去問の日。
学校説明会。
文化祭。
志望校選び。
成績表。
偏差値。
クラス昇降。
気がつけば週末の予定も、中学受験を中心に決まっている。
カレンダーを見ると、受験関係の予定ばかりである。
だからこそ、ときどき錯覚する。
すべてを受験に使わなければいけないのではないか、と。
休日に自分の予定を入れると、
「この時間、息子の算数を見たほうがいいのでは」
と思う。
飲みに行けば、
「今日は勉強を見られないな」
と思う。
本を読んでいても、
「その時間で過去問の分析ができるのでは」
と思ったりする。
こうなると、なかなか息苦しい。
だが考えてみれば、受験は家族の生活の一部であって、人生のすべてではない。
父親は父親である前に、一人の会社員でもある。
友人もいる。
同僚もいる。
付き合いもある。
仕事上の人間関係もある。
たまには飲みに行く。
それでいいと思う。
毎日100点は無理
親の受験伴走にも、たぶん100点満点は存在しない。
毎日完璧に子どもの勉強を見て、
毎日機嫌よく話を聞いて、
毎日適切なアドバイスをして、
毎日過去問を分析して、
毎日栄養バランスの取れた食事を用意して、
毎日22時には寝かせる。
そんな家庭があるのかもしれない。
少なくとも僕には無理である。
仕事で余裕がない日もある。
疲れている日もある。
イライラする日もある。
子どもの答案を見ながら、
「なぜここを間違えるんだ」
と思う日もある。
そして今日のように、そもそも家にいない日もある。
毎日100点を取ろうとすると、親のほうが先に息切れする。
中学受験は短距離走ではない。
小4から考えれば、かなり長い。
そして小6の秋から受験本番までだけを見ても、まだ数か月ある。
136日。
毎日100点を目指して136日走るより、
50点の日も、
70点の日も、
そして今日のような0点の日もありながら、
最後まで続けるほうが大事なのだと思う。
母親だけの日もある
そして、僕が何もしていない日でも、中学受験は進んでいる。
家では妻がいる。
塾もある。
本人もいる。
父親がいなければすべてが停止するわけではない。
当たり前なのだが、これは意外と大事なことである。
中学受験はチーム戦だとよく言われる。
ただ、チーム戦だからといって、全員が毎試合フル出場する必要はない。
今日は母親が多めに見る。
別の日は父親が算数を見る。
塾に任せる日もある。
本人が自分で進める日もある。
全員が少しずつ役割を持って、なんとか受験日まで進んでいけばいい。
父親が毎日3時間勉強を見ることより、
必要なときにちゃんとそこにいることのほうが、大事なのかもしれない。
時間より気にしているか
最近思うのは、子どもにとって大事なのは、
「何時間一緒に勉強したか」
だけではないということである。
今日のテストはどうだった。
算数難しかった?
NNどうだった?
過去問何点だった?
そんな会話をする。
結果が良ければ一緒に喜ぶ。
悪ければ、
「まあ次だな」
と言う。
何か困っていれば話を聞く。
父親が自分の受験を気にしている。
一緒に応援している。
それが伝わることも大事だと思う。
毎日横に座っているから伴走しているわけではない。
逆に、勉強を見る時間が短くても、
「ちゃんと見ているぞ」
という感覚は作れる。
少なくとも僕はそうありたい。
飲み会にも行く
だから今日は飲み会に行った。
ビールを飲んだ。
受験のことを忘れていた時間も普通にあった。
それでいい。
四六時中、
偏差値。
過去問。
SAPIX。
NN。
志望校。
と考えていたら、こちらの頭がおかしくなってしまう。
中学受験が終わったあとにも人生は続く。
息子にも続くし、僕にも続く。
だから中学受験のために、すべてを犠牲にする必要はないと思っている。
もちろん、受験直前になれば話は変わる。
できるだけ時間を作りたい。
一緒に問題を見るだろうし、学校までのルートを確認したり、持ち物を準備したりするだろう。
だが9月の今から、父親まで完全な受験モードになって136日間走り続けたら、たぶん本番前にガス欠になる。
今日は飲む。
明日はまた算数を見る。
それくらいでいい。
それでも少し気になる
……などと格好よく書いてきたが。
やはり少し気になる。
今日、ちゃんと勉強したのだろうか。
算数は大丈夫だったのか。
何か分からない問題はなかったのか。
結局、家に帰れば聞いてしまうのである。
「今日どうだった?」
たぶん父親というのは、そんなものなのだと思う。
受験に全部の時間を使うことはできない。
仕事もある。
飲み会もある。
疲れて寝てしまう日もある。
だけど、頭の片隅には受験がある。
会社で仕事をしていても、
「そういえば今週末、何のテストだっけ」
と思う。
飲んでいても、
「明日は算数を少し見ないとな」
と思う。
中学受験をしている父親というのは、完全に受験から離れることはできないらしい。
今日も受験の一日
今日は受験について、特に何もしていない。
だから最初はブログに書くことがないと思った。
でも、こうして5000文字近く書いている。
ブログとは恐ろしい。
「今日は飲み会でした」
で終わる話を、ここまで引き延ばすことができる。
もはや飲み会に行った本人ですら驚いている。
ただ、こういう何もない一日も残しておきたい。
受験ブログというと、どうしても、
模試で偏差値が上がった。
過去問で何点取った。
志望校が決まった。
勉強法を変えた。
そんなイベントのある日ばかりを書きたくなる。
でも実際の中学受験生活の大半は、もっと普通の日である。
仕事に行く。
子どもは学校へ行く。
塾へ行く。
ご飯を食べる。
風呂に入る。
寝る。
父親はたまに飲みに行く。
そんな普通の日々の先に、2月1日がある。
第一志望の受験まで、あと136日。
今日は父親としては、ほぼ何もしていない。
それでも受験日は一日近づいた。
明日はまた明日である。
帰ったら息子に、
「今日、何やった?」
と聞こうと思う。
たぶんそこから、また我が家の中学受験が始まる。

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